横浜はじめて物語 横浜はじめて物語
西洋目薬発祥の地 6月の巻
 2015.6.5公開
慶応2年(1866年)、日本ではじめての西洋目薬が販売されました。
ヘボン博士
元治元年、岸田吟香(新聞記者・実業家)は「風眼」という眼病に苦しんでいたところ、ヘボン博士(ヘボン式ローマ字の創始者・医師)の治療を受けました。それがきっかけとなり、ヘボンが手掛けていた和英語林集成の編纂を手伝うことになりました。その後、岸田はヘボンから伝授された「精錡水」の販売を横浜で始め、それが日本初の西洋目薬となりました。明治10年には新聞社を退職し、銀座で楽善屋を開き、売薬業に専念しました。目薬は国内だけではなく、中国各地でも売り出されました。岸田は盲人教育への関心も強く、明治8年に津田仙・中村正直らと「楽善会」を設立、明治13年には東京築地に日本初となる楽善会訓盲院(現筑波大学附属盲学校)を創設しました。

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